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高齢の住職だからといって人格者とは限らない [雑感]

本日、お寺の永代経法要に2年半ぶりに参加してきました。
私は浄土真宗本願寺派の門徒で、2020年4月には門徒総代に就任していました。
その頃、私は町内会の役員や行政書士会の役員もしており、仕事もそれなりに忙しかったので、何度も就任することを固辞しました。しかし、その当時の若住職(副住職)から、十分私の境遇に配慮するからと何度も頼みこまれ、しぶしぶ承諾致しました。若住職は私より6歳上で、とても気さくな方で、良い性格の方でした。約束通り、忙しい時は寺の行事を休ませてくれました。

ところが、若住職が2021年8月に新型コロナウイルスにかかり、急にお亡くなりになったのです。とてもショックを受け、落ち込みました。しかし、総代である私は悲しんでいる暇はなく、10月に若住職の葬儀(本葬、お別れ会)を取り仕切りました。その後、大きく環境が変わることになったのです。若住職がなくなったことにより、その養父である82歳の住職と直接、接することになりました。

その住職は曜日、時間に関係なく、電話をかけてきて、寺に来るよう要請するのです。自営業ではあるものの、大阪府行政書士会阿倍野支部の支部長となり、とても忙しくなっていた私にとって、とても苦痛でした。私が感じたことは、高齢のオーナー住職というものは職業柄、奉仕してもらうことが当たり前になっているような気がします。また非常に幻滅することがありました。私に「いくらぐらいがお布施の相場かと、もし他の門徒に聞かれたら、絶対に具体的な金額を言うな。お気持ちという言葉を最後まで言い通せ。」と言うのです。理由を聞くと、「お気持ちと言うと大抵は世間体を気にして大きな額を出してくるからだ。」と言うのです。

戦国の覇王である織田信長は「破戒坊主は坊主にあらず」と言いました。彼が行った、比叡山焼き討ちや一向宗の殲滅を肯定することは出来ませんが、彼の言葉にも一理あると思いました。やはり住職であるなら、せめて頭を丸めることぐらいはしてほしいと思います。世俗に染まっている人でもスキンヘッドの人は何人もいます。高齢で修業を積んでそうな住職であっても人格者とは限らないなぁと思った次第です。





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