2017を振り返って [雑感]
今年の総括として良くもなく悪くもなくといった感じでしょうか。
良い面は実質、今年から行政書士業務を開始したわけですが、いろんな経験をさせてもらったという点です。例えば、大阪府行政書士会の新人配属研修に参加したことです。この研修は新人全員が参加できるわけではなく、レポートを提出して評価されないと参加できません。私は運よく採用されました。
実務をバリバリやっている配属先で建設業許可、産廃収集運搬業許可の実務を経験をさせてもらったことは本当に自分の財産になりました。
次に悪い面は司法書士試験に落ちたことです。今回は疑義問などなく、試験委員の先生は良い問題を作ったと思います。今回はまったく自分の責任で不合格になったと思います。いつもほとんど間違わなかった刑法の問題を2問も落とすなど考えられないことをしてしまいました。本当にくやしいです。司法書士試験は司法試験とは違って、ずっと受けることができますが、行政書士業務との両立は結構きついです。来年、仮に受験するとしてもしっかりと準備できるのか不安になります。司法書士試験は一度覚えても範囲が膨大なので、すぐに忘れてしまい、また思いだす作業が必要になります。
ソネットブロガーのみなさん、また私のブログを読んでくださっているその他のみなさんは今年いかがだったでしょうか。来年は良い年にしたいです。ただ、私は来年厄年みたいなのでお祓いに行かないといけません。
皆様にとっても来年がよい年になりますように
良い面は実質、今年から行政書士業務を開始したわけですが、いろんな経験をさせてもらったという点です。例えば、大阪府行政書士会の新人配属研修に参加したことです。この研修は新人全員が参加できるわけではなく、レポートを提出して評価されないと参加できません。私は運よく採用されました。
実務をバリバリやっている配属先で建設業許可、産廃収集運搬業許可の実務を経験をさせてもらったことは本当に自分の財産になりました。
次に悪い面は司法書士試験に落ちたことです。今回は疑義問などなく、試験委員の先生は良い問題を作ったと思います。今回はまったく自分の責任で不合格になったと思います。いつもほとんど間違わなかった刑法の問題を2問も落とすなど考えられないことをしてしまいました。本当にくやしいです。司法書士試験は司法試験とは違って、ずっと受けることができますが、行政書士業務との両立は結構きついです。来年、仮に受験するとしてもしっかりと準備できるのか不安になります。司法書士試験は一度覚えても範囲が膨大なので、すぐに忘れてしまい、また思いだす作業が必要になります。
ソネットブロガーのみなさん、また私のブログを読んでくださっているその他のみなさんは今年いかがだったでしょうか。来年は良い年にしたいです。ただ、私は来年厄年みたいなのでお祓いに行かないといけません。
皆様にとっても来年がよい年になりますように
ながらスマホ [マナー]
今月、自転車に乗りながらスマホをしていた女子大生が年配の女性と衝突し、不幸にもその女性を死亡させるという事故が起こりました。
私の町の周りでも、このような危険なことをする人をよく見かけます。ながらスマホをやめるように啓蒙するCMをよく見かけますが、今のところ、効果が出ていないようです。
自転車も車輪のある乗り物である以上、ながらスマホをしている人に反則切符を切る法律を作ってはどうでしょう。啓蒙活動で効果がない場合はある程度、罰金などの仕置きが必要と思います。
私の町の周りでも、このような危険なことをする人をよく見かけます。ながらスマホをやめるように啓蒙するCMをよく見かけますが、今のところ、効果が出ていないようです。
自転車も車輪のある乗り物である以上、ながらスマホをしている人に反則切符を切る法律を作ってはどうでしょう。啓蒙活動で効果がない場合はある程度、罰金などの仕置きが必要と思います。
来年の大河ドラマ「西郷どん」?もうええやろ [芸能]
大河ドラマ「おんな城主直虎」が終了しました。
来年は西郷隆盛だそうです。以前から思っていたのですが、大河ドラマは幕末維新を取り上げるのが多いですねぇ。
確かに同じ幕末維新でも長州藩、薩摩藩、土佐藩、会津藩、幕府、新選組と、違った視点から描いていることは理解できます。
しかしそれにしても多すぎます。もっと聖徳太子とか天智天皇、奈良時代の吉備真備、室町時代の足利義満、極端にいえば、卑弥呼とヤマトタケルノミコトの2部構成とかそんなものも描いてほしいです。
来年は西郷隆盛だそうです。以前から思っていたのですが、大河ドラマは幕末維新を取り上げるのが多いですねぇ。
確かに同じ幕末維新でも長州藩、薩摩藩、土佐藩、会津藩、幕府、新選組と、違った視点から描いていることは理解できます。
しかしそれにしても多すぎます。もっと聖徳太子とか天智天皇、奈良時代の吉備真備、室町時代の足利義満、極端にいえば、卑弥呼とヤマトタケルノミコトの2部構成とかそんなものも描いてほしいです。
日馬富士の引退について(モンゴル編) [国際]
日馬富士の暴行はやはり彼自身に責任があります。リモコンで何度も頭を殴る行為は危険性の高い行為です。
しかし日本人とモンゴル人とはこの感覚に温度差があるのです。確かにモンゴルでも暴力は許されないのですが、日本人が思うくらい悪い行為だと思っていないのです。モンゴルでは古来より族長や年長者に逆らうことは許されないという風習があり、年少者の素行が悪い場合、鉄拳制裁も許されるという文化があるのです。
ですから、今回の事件でもモンゴル人の感覚では日本の報道が日馬富士の暴行ばかりを批判し貴ノ岩の素行について、なぜ批判しないのか不思議だそうです。つまり、日馬富士がやり過ぎたことは良くないと思うものの、貴ノ岩の先輩への不遜な態度も良くないと思っているのです。だから、なぜ引退までさせる必要があるのかという疑問をもっているのです。
結論を言いますと、いかなる場合でも暴力は許されないという日本人の考え方をモンゴル人は理解しないのです。不遜な態度をする者にはある程度の暴力も許されると考えているのです。チンギスハンのモンゴル帝国を見れば、わかるように日本人よりも気性が激しいのかもしれません。
しかし日本人とモンゴル人とはこの感覚に温度差があるのです。確かにモンゴルでも暴力は許されないのですが、日本人が思うくらい悪い行為だと思っていないのです。モンゴルでは古来より族長や年長者に逆らうことは許されないという風習があり、年少者の素行が悪い場合、鉄拳制裁も許されるという文化があるのです。
ですから、今回の事件でもモンゴル人の感覚では日本の報道が日馬富士の暴行ばかりを批判し貴ノ岩の素行について、なぜ批判しないのか不思議だそうです。つまり、日馬富士がやり過ぎたことは良くないと思うものの、貴ノ岩の先輩への不遜な態度も良くないと思っているのです。だから、なぜ引退までさせる必要があるのかという疑問をもっているのです。
結論を言いますと、いかなる場合でも暴力は許されないという日本人の考え方をモンゴル人は理解しないのです。不遜な態度をする者にはある程度の暴力も許されると考えているのです。チンギスハンのモンゴル帝国を見れば、わかるように日本人よりも気性が激しいのかもしれません。
貴乃花親方の不可解な行動 [雑感]
まず、貴乃花親方がなかなか公に語ろうとしない点です。彼は書類送検が済んだ段階で、相撲協会に協力すると言っていました。彼は理事である以上、そろそろ、ことの経緯を語るべきだと思うのです。
次に貴ノ岩を部屋に閉じ込めている点です。マスコミがうるさい中、表に出さないようにしているのだと思いますが、さすがにこう長期に閉じ込めれば、半ば監禁状態になっており、精神的にも肉体的にも悪影響だということです。
最後に、仮に相撲協会に不信があったとしても、まずは相撲協会に事件のいきさつを話し、うやむやにされた段階で警察に通報するのが、筋だったと思います。
次に貴ノ岩を部屋に閉じ込めている点です。マスコミがうるさい中、表に出さないようにしているのだと思いますが、さすがにこう長期に閉じ込めれば、半ば監禁状態になっており、精神的にも肉体的にも悪影響だということです。
最後に、仮に相撲協会に不信があったとしても、まずは相撲協会に事件のいきさつを話し、うやむやにされた段階で警察に通報するのが、筋だったと思います。
- ショップ: メガトリノ 楽天市場店
- 価格: 16,200 円
浅野内匠頭の評価 [歴史]
12月14日は赤穂浪士討ち入りの日です。
浅野内匠頭のことを組織の長として最低な人物などと評価する方が最近、多いです。つまり家臣たちのことを考えずに一時の短気でお家をつぶしたというのです。
しかし、これは現代の価値観で考えるなら、そういえるかもしれませんが、当時の武士の価値観から考えれば決してそうとはいえないと思うのです。武士が万座で恥をかかされる行為は刀で切られるのと同じことを意味しました。ましてや浅野内匠頭は5万石の大名です。むしろ吉良上野介は武士でありながら武士の精神を忘れていたといえます。吉良家は高家という宮中の作法などを教える家であったため、平家のように公家化していたのだと思います。とはいえ、吉良家は公家ではなく、武士なのですから、決して大名に対して、恥をかかせる行為をしてはならなかったのです。武士道に反したのは浅野ではなく、吉良なのです。
浅野内匠頭のことを組織の長として最低な人物などと評価する方が最近、多いです。つまり家臣たちのことを考えずに一時の短気でお家をつぶしたというのです。
しかし、これは現代の価値観で考えるなら、そういえるかもしれませんが、当時の武士の価値観から考えれば決してそうとはいえないと思うのです。武士が万座で恥をかかされる行為は刀で切られるのと同じことを意味しました。ましてや浅野内匠頭は5万石の大名です。むしろ吉良上野介は武士でありながら武士の精神を忘れていたといえます。吉良家は高家という宮中の作法などを教える家であったため、平家のように公家化していたのだと思います。とはいえ、吉良家は公家ではなく、武士なのですから、決して大名に対して、恥をかかせる行為をしてはならなかったのです。武士道に反したのは浅野ではなく、吉良なのです。