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芸能界は所詮はイメージの世界 [芸能]

最近、ある人気女優とあるボーカルグループの人気歌手とのできちゃった婚が話題になっています。
特に女優が出ているCMやこれから出るドラマに影響を与えるとのことで違約金の問題が取りざたされています。

これに対し、CMを打ち切ったり、違約金を請求するのはマタハラであると主張する人がいます。

しかし私はこれに対して違和感を持ちます。そもそも芸能界は一般の社会とは異なる社会です。ある期間、恋愛が制限されることがある代わりに高いギャラをもらえるのです。ファン達は彼女たちにある種のイメージを抱き、夢を持っているのです。どうしても女優にはイメージがつきまとうものである以上違約金を請求されても仕方がないと思います。

もしAKBが恋愛自由だったら、人気アイドルグループとして成り立ちませんよ。





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女性議員は逃げてはいけない [政治]

最近、女性議員の不祥事が目立ちます。暴言、不倫など。
彼女らに共通していえることは、不祥事をした後、反論や肯定もせず、雲隠れしてしまうということです。彼女たちは仮にも国会議員なのです。国民の税金をもらって活動する者である以上、説明責任は果たすべきです。女性だから許してもらえるなどと考えるのは間違いです。

例えば、雑誌の記事がまっかな嘘であるなら、そうであると反論すれば良いのです。それが事実なら、素直に謝罪して国会議員を辞めるべきです。


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山尾ショック [政治]

山尾志桜里氏の不倫は痛すぎました。
籠池、加計問題、豊田議員のパワハラ問題など、自民党には不祥事が相次ぎ、内閣支持率が30%を切る状態になっていたのに、彼女の不倫で一気に息を吹き返し、今がチャンスと衆議院の解散にまで踏み切ろうとしています。

山尾氏は元検事であり、非常に頭のいい女性でした。元検事だけあって、弁が立ち、既婚者でありながら、ハワイで結婚式を挙げた自民党の男性議員を最低な男と強烈に批判しました。与党は彼女の追及を恐れていました。また待機児童問題では英雄扱いされ、育ママたちから高い支持を得ました。

このように彼女はとても優秀なので、不倫と政治家の能力は関係ないとして、許すべきだとする評論家もいます。つまり、英雄色を好むというわけです。

しかし、やはり、いくら優秀でも許されないんです。こういう不倫という破廉恥は本当にイメージが悪くなるんです。例えば、雑誌やAV業界などは、「肉体派ジャンヌダルク」などと、おもしろおかしく揶揄し、また低俗好きな男性はそれに反応してしまうんです。つまり、こういう話題は人間の本能を刺激してしまうんです。他方、女性の中にもそういった行動をとる女性を軽蔑する人が出てきます。これもある種、女性の本能を刺激しているのです。彼女を支持していた育ママたちでさえ不倫は許せないと言っていました。

これから、女性でリーダーになろうとする人は、このような破廉恥を絶対にしてはいけません。自分の人生が終わるだけではなく、今回のように1人の女性の不倫が国家の体制に大きな影響を及ぼす場合があるからです。これで、民進党は今井絵理子を追及するのは難しいでしょう。解散後の選挙でも厳しい戦いになると思います。

元イギリス首相のサッチャーや現ドイツ首相のメルケルにこのような失敗はありえません。山尾氏は大きな失敗をしでかしたのです。そして、大勢の人に迷惑をかけたのです。不倫をした一時の快楽が後に大きな苦痛をもたらしたのです。





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満州国5(最終章) [歴史]

私は4回にわたって満州について語りましたが、何も満州事変を正当化するつもりはありません。
満州は日本とは明らかに異なる地域であり、同事件が国際法違反であることには間違いありません。
しかし、満州事変を中国国民の恥というのは言い過ぎです。中国はいつも日本に対して歴史を直視せよといいます。しかし、中国も歴史を直視すべきです。中国は満州事変と日中戦争を同列に論じて、1931年~1945年に起こった事件をすべて中国国民に対する罪と断じます。しかし満州国1から満州国4で論じたように中国は満州民族、満州の歴史をまったく無視して、満州事変を語っています。すなわち、日本が中国固有の領土を無理やり切り取り、中国最後の皇帝を無理やり連れてきて、傀儡国家を建設したように述べているのです。

また、わが国の日本史、世界史の教育も正確に教えているとはいえません。例えば、清=中国のように高校教師は教えているように思えます。清の成り立ちを正確に教えないと、満州事変やラストエンペラー溥儀を理解することはできません。

これが、私が今回、満州国を取り上げた理由です。









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満州国4 [歴史]

蒋介石軍が北伐を完了し、南京国民政府は華南・華中・華北(本来の中国の領土「中華」)を統一しました。これにより、張作霖という軍閥は華北を追われ満州に逃れることになりました。張作霖は漢民族出身ですが、元々、馬賊(盗賊の頭)出身で満州一帯を荒らしまわっていた経歴がありました。そういう理由で満州に縁があったといえます。この動きに対して満州に権益(満州鉄道等)をもっていた日本の関東軍は彼が邪魔だと判断し、爆死させました。これに恨みをもった、息子の張学良は蒋介石と手を結び、抗日運動を展開することになります。

関東軍参謀、石原莞爾は満州にいる張学良軍を叩き、満州を平定することは極めて容易であると判断しました。結果として関東軍の精鋭はわずか1万数千で張学良の23万の軍を打ち破り、たった5か月で日本国土の3倍あたる満州全土を掌握しました。確かに、この地域にも漢民族はたくさん住んでいました。漢民族はどうしても人口が多いので、満州に流れこんでいた者もいたのです。しかし、彼らは自分たちの住んでいる地域が中国(中華)であるという認識はなかったのです。この地域は元々、満州族が治めていた地域であったからです。関東軍が進軍した際、満州民族は自分たちの国を建国したかったため、協力的でした。そこに住んでいた漢民族の民衆も抵抗しませんでした。また、張学良の軍も中華ではない満州を守るために命がけで戦う者が少なく、非常に士気が低かったのです。他方、関東軍は日露戦争で獲得した満州の権益を守る必要があったため、非常に士気が高かったのです。さらにそれを指揮した石原莞爾は日本帝国陸軍にはめずらしく、天才的な軍人だったたのです。

石原莞爾は単に軍人というだけではなく、思想家でもあり、歴史家でもありました。他の関東軍参謀とは違って、満州民族の歴史を熟知していたのです。彼は満州事変を起こす前からそれほど大きな抵抗をうけることがないことを知っていたのです。それどころか、清朝最後の皇帝で満州族の溥儀を皇帝に立てれば、満州民族の民心を味方につけることができると考えたのです。これを見事に成功させた事件が満州事変です。

彼はのちに盧溝橋事件(1937年)に反対し、それ以上中国戦線を広げるべきではないと主張しています。自ら、満州事件を起こしておきながら、なにか矛盾した主張のように感じますが、実は矛盾していません。
北京、上海、南京、武漢、重慶などは間違いなく、古来から中国の領土です。例えば、南京でいえば、三国志の呉の都、建業のことです。そのような地域に進軍すれば、軍だけではなく、民衆も抵抗します。石原はそのことをよくわかっていたのです。しかし東条英機、板垣征四郎、武藤章などのA級戦犯はそのことがわからず、どんどん戦線を拡大させ、戦争を泥沼化させていったのです。








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ドリス・ドリス・ドリス・ドリス・ドリスゥー [スポーツ]

もう言うまい。[ちっ(怒った顔)]
ドリスは何度、救援に失敗したことか。そして何度、先発の勝星を打ち消したことか。
この男をクローザーから外しなさい。一球目からど真ん中に投げてどうする(対長野)。
さすがにどの阪神ファンもドリスの代わりはいないなどと妄言をはく人はいないでしょう。
ドリスを外さなければクライマックスでは必ずやられます。球速ははやいけども、制球がないんです。


私のドリスに対する怒りの大きさ

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満州国3 [歴史]

1912年、辛亥革命により清朝最後の皇帝、溥儀は退位しました。しかし、その後も中華民国臨時総統の袁世凱との取引により、紫禁城で今まで通りの生活することを保障されました。袁世凱は元々、清の軍人兼大臣であり、孫文の配下になることを忌み嫌いました。とはいえ華南・華中地方で孫文の革命軍が国民の支持を得ていたため、孫文と直接対立するわけにはいかず、溥儀を退位させることを孫文に約束しました。他方、自ら中華民国の大総統になるため、清の高官や宦官、軍閥を掌握して孫文に対抗しようとしました。

しかし袁世凱が1916年に死亡すると、華北は軍閥が乱立するようになり、世情が不安定化しました。軍閥の中には孫文の南京政府に降ろうとするものも出るようになりました。そんな中、北京に勢力を有していた軍閥が南京政府に忠誠を誓うため、紫禁城に乱入して、溥儀ら皇族を追い出し、紫禁城の財宝を盗み出しました。さらに孫文の後を継いだ蒋介石は北伐を開始し、張作霖を除く軍閥を倒し、華北を統一しました。北伐の際、蒋介石軍は清の歴代皇帝、西太后の陵墓を暴き、財宝を奪いつくしました。

溥儀はこういった漢民族の仕打ちを深く恨みました。彼は先祖の地、満州に戻って、再起を図ることを決意したのです。これに着目したのが関東軍参謀、石原莞爾です。彼は満州事変の中心人物であり、さらに満州帝国建国の草案を作った人物です。

長くなってしまったので、次回参謀石原莞爾にふれつつ、本題に入っていきたいと思います。


マテオとドリスどないやねん、ほんまに [スポーツ]

阪神は広島に痛恨の3連敗を喫しました。[もうやだ~(悲しい顔)]
しかしそれもこれも、マテオとドリスのせいです。本当に彼らは痛い所で打たれます。安定感がまったくありません。セットアッパー、クローザーとしてそれぞれ失格です。

球団は来年も契約するようなことを言っていますが、私は大反対です。阪神の外国人スカウトはいったいどんな目をしているのですか?これを本気で思っているなら、まったく見る目がありません。打者の方でも、キャンベル、ロジャースとまったく機能していないじゃないですか。契約の更改をしてはいけません。優勝を果たすためにはもっと球威、制球の優れた外国人投手(ソフトバンクのサファテのような)を獲る必要があります。





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満州国2 [歴史]

満州とよばれる中国の東北地方は元々、漢民族が支配した歴史はありませんでした。この地域は女真族(後に満州族と改名)と呼ばれる人たちが住んでいました。元々、彼らは漢民族とは違い、定住せず、東北地方のあちこちを遊牧する民族でした。1115年に金という国家を作りましたが、モンゴル帝国に滅ぼされてから、400年弱、各部族がバラバラとなり、統一国家はできませんでした

そんな中、1616年になって女真族のヌルハチ(清の初代皇帝)が出て、東北地方に後金という統一王朝を樹立させました。この王朝は強力な国家で、2代目のホンタイジの時には朝鮮をわずか50日で屈服させ、国名を後金から清に改めました。そして3代目の順治帝の時代になると明の領土を呑み込み、紫禁城に入城しました。

さらに4代目皇帝の康熙帝は外モンゴル、青海、チベットを服属させました。5代目の雍正帝の時代には台湾を服属させました。6代目の乾隆帝の時代になるとついに新疆・ウイグルを服属させました。

このように満州族は初代から6代目までの優秀な皇帝の元で強大な大清帝国を築き上げました。このように1616年~1795年まで清は隆盛を極めたのです。現在の中華人民共和国の国土は大清帝国の領土とほぼ一致します(台湾を除いて)。現在の中華人民共和国は満州族に感謝しないといけないかもしれません。本来、漢民族の固有の領土ではないチベットやウイグルを領有しているのですから。チベットやウイグルは清が滅んだ時、自治独立しようとしたのですが、その後中国共産党は人民解放軍を送って、同地を征服したのです。これが今もくすぶっている民族問題なのです。同地も漢民族に支配された歴史はなく、満州族に一時期、支配されていただけです。

しかし、隆盛を極めた清も1800年代になると西洋列強の干渉を受け、衰退します。「滅満興漢」をスローガンに漢民族の洪秀全が1851年に太平天国の乱をおこし、ついに1912年、漢民族の孫文による辛亥革命によって清は滅ぶことになります。

これにより、満州族の高官たちは華南や華北から追われ、先祖の地である東北地方に戻っていくことになります。モンゴル族の元が漢民族の明に滅ぼされた時にモンゴル平原に帰っていった時と同じです。

次回はいよいよ、満州帝国成立について、述べたいと思います。













満州国1 [歴史]

中国が国恥記念日とする9月18日(柳条湖事件)が近づいているので、これに関係する歴史を数回、語らせて頂こうと思います。この事件をきっかけに日本軍は満州を約5か月で占領し、清最後の皇帝溥儀を執政として迎え満州国を建国しました。

満州国この国家は事実上、関東軍が成立させた傀儡国家です。しかし、なぜこの国家はたとえ傀儡であっても、短期間で成立し、その後、13年間も継続できたのか不思議でした。満州国はとりあえず、国家としての体は成していたのです。

他方1937年から始まった日中戦争では南京や武漢などを占領したものの、中国軍民の抵抗で占領地の保持に苦しみ、日本軍は大きな被害を被ったのです。

満州国は現在の遼寧省、吉林省、黒竜江省ある地域を指します。これらの地域と南京、武漢がある地域と何か違いがあったからに違いありません。満州の歴史に触れつつ、何回か語らせていただきます。