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裁かれなかった戦争犯罪人3 [歴史]

最後は石井四郎中将を取り上げます。彼は731部隊と呼ばれる細菌部隊の隊長です。
満州において捕虜やスパイ容疑者として拘束された朝鮮人、中国人、モンゴル人を「マルタ(丸太)」と呼び、人体実験を行いました。詳しい内容についてはあまりに凄惨なのでここでは触れません。およそ3000人の人が人体実験により殺されたそうです。

極東国際軍事裁判(東京裁判)において戦犯容疑を問われたが、詳細な研究資料をアメリカに提供したため、GHQのダグラス・マッカーサー最高司令官とチャールズ・ウィロビー少将の協議によって訴追を免れたのです。いわゆる司法取引です。アメリカも、そういう意味ではいい加減な国です。

そして石井中将は戦後、医院を開業し、1959年まで生きたのです。人体実験という非人道的行為を指揮した者がなぜ何の裁きを受けなかったのか、まったく理解できません。神や仏はいないのでしょうか。このような事例を見ると、そのように思ってしまいます。





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最近、被疑者、服役者の逃亡多い [社会]

先週、大阪府の富田林警察署から被疑者が脱走しましたが、未だに逮捕できていません。
元々、大阪府松原市出身のようで、大阪市南部の地理に明るいそうです。
脱走後早速、私の住んでいる平野区でひったくりを2件行ったようです。
私の住んでいる地域ではみな怖がっています。警察はもう少ししっかりしてもらわないと困ります。[ちっ(怒った顔)]

最近、被疑者や服役者の逃亡事犯が目立ちます。愛媛県でも服役者が脱走して広島まで逃亡した事件がありました。

彼らの中には自暴自棄になっている者も多く、犯罪を犯すことに罪悪感を持っていない者もいます。既に犯罪を犯しているから、1件も10件も同じだと思っているのです。また、逃亡をするには金や食料が必要になるので、財産犯を犯す危険が高まるのです。

だからこそ、警察は彼らを絶対に逃亡させてはいけないのです。場合によっては強盗殺人等の凶悪な犯罪を犯す危険もあるのです。1日も早く捕まえてほしいです。





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裁かれなかった戦争犯罪人2(終戦記念日特集) [歴史]

2回目は辻政信陸軍大佐です。彼は関東軍参謀本部にも所属していました。
辻はノモンハン事件、ポートモレスビー作戦を指揮した人物です。他にもフィリピンにおけるバターン死の行進、ガダルカナル島の戦いにも関わっています。ここでは前2者について触れたいと思います。

まずノモンハン事件について述べます。1939年5月にモンゴルと満州帝国との間で国境紛争が起こり、それぞれの国の後ろ盾であるソ連と日本が衝突することになりました。当初、陸軍省中央は事件不拡大の方針をとっていましたが、関東軍が独断専行でソ連との紛争に踏み切ったのです。
その当時、日本は日中戦争が泥沼化している最中で、ソ連との紛争を避けるべきでした。にもかかわらず、辻参謀は強行作戦を主張し続けたのです。

その結果、ソ連の機械化部隊(戦車)による大攻勢を受け、日本軍は大敗し、第23師団は壊滅したのです。そして自分自身は何の責任も取らず、部下に責任を押し付け、自決を強要したのです。

次にポートモレスビー作戦について触れたいと思います。1942年6月にミッドウェー海戦で敗北し、日本の太平洋における制空権が危うくなりました。その結果、既に占領していたニューギニア方面のラバウル航空基地の重要性が高まりました。ところが、ポートモレスビーという町に駐留していたオーストラリア軍とアメリカの航空部隊がラバウルを奪還しようとする動きを見せました。そこで、ポートモレスビーのオーストラリア軍を叩こうという考えが陸軍の中で浮かびあがりました。しかしこの作戦はオーエンスタンレー山脈(最高峰4,000メートル)を直線距離で220キロを陸路で進行するというものであったため、大本営による慎重な調査研究をまつ必要がありました。
ところが、辻は「今や研究にあらずして実行である」と述べて、大本営は陸路攻略を決定したと偽の通知をして、攻撃命令を出したのです。その結果、あまりにも無謀な作戦であったため、約5000名の兵士がオーストラリア軍の攻撃と飢餓で犠牲になったのです。

辻は敗戦後、B級戦犯の指定を受けましたが、スキンヘッドであったことを利用して、僧侶に身をやつし逃亡したのです。戦犯指定解除となる1949年まで逃避行を続けたのです。辻の指揮を受けていた師団長たちはフィリピンなどでBC級戦犯として銃殺刑にされました。にもかかわらず、辻はのうのうと社会復帰をはたし、1952年には衆議院議員に当選します。なぜ、このような人物が裁かれなかったのか不思議でなりません。


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平成30年度司法書士試験、基準点発表 [資格]

8月6日に司法書士試験の基準点の発表がありました。
今年は今まで一番勉強時間がとれず、模試も初めて受けませんでした。
それでも7月1日司法書士本試験受けました。
基準点は午前78点(26問)、午後72点(24問)でした。
この基準点をどちらかでも下回るとその時点に不合格が決まります。
私はというと、午前81点(27問)、午後84点(28問)でした。
今まで一番良かったです。しかし、午前の問題で正答率の高い問題を3問落としていました。
痛かったです。もしこの3問を獲れていれば、書式は最低点(基準点)付近で合格できる状態にもちこめたので、合格の可能性は高かったと思います。

現実は165点(55問)なので少し苦しいと思います。書式で得点が伸びていることを期待したいと思います。





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裁かれなかった戦争犯罪人1(終戦記念日特集) [歴史]

1回目の今日はインパール作戦を立案指揮した牟田口廉也中将について触れたいと思います。
まず、牟田口は盧溝橋事件の端緒を作り出した人物です。さらにインパール作戦を立案し、多くの師団長が反対したにも関わらず、作戦を強行した人物です。インパール作戦とはインド(当時イギリス領)から中国(蒋介石国民党政府)への物資の輸送を遮断するために、当時日本が占領していたビルマからインドのインパールという町を占領しようとする作戦のことです。

この作戦は本当に無謀な作戦だったのです。まず行軍するルートが非常に険しい山脈である上、気候が湿地帯であったため、蚊などによってマラリアに感染しやすい場所だったのです。しかも日本軍は英軍とは違って補給物資が乏しかったため、インパールに近づく前に飢餓地獄に陥ってしまったのです。ですから、英軍と戦って戦死した人よりも、餓死して亡くなった人、苦しさから逃れるために自決した人の方が多かったのです。

後にこのようにして亡くなった人が行軍した道のことを「白骨街道」と呼ばれています。現在でも現地の人は遺骨を発見することがあると言っています。いかに悲惨な作戦であったかということがわかります。

現地の司令官は作戦が無謀で多くの兵士が飢餓に苦しんでいる旨伝え、作戦を即停止するよう牟田口に何度も打診したのです。ところが、牟田口は「弱気な発言は許さん」「食料ならジャングルの中で見つけろ」「弾がなくても突撃せよ」など、もうとにかく、とんでもない指揮官なのです。

にもかかわらず、彼は英軍が追撃に出てくると、白骨街道に兵士たちを置き去りにして、自分ひとり真っ先に前線から撤退したのである。

しかも敗戦後、彼は何の裁きも受けず、1966年まで生きたのです。そして兵士への謝罪の言葉は死ぬまでなかったのです。この人物は終戦直後、日本人の手で絞首刑にすべきであったと思います。


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参議院の定数増員、解せぬ [政治]

今期の通常国会で参議院の定数を6増やす法案が成立しました。
私にはどうしても理解できません。
国は来年秋に消費税を8%から10%に上げます。
国は将来10%よりさらに増やすことを考えています。
ならば、国自体も身を削る姿勢を見せなければなりません。
削る額の多い少ないは関係ありません。税制改革は国と国民との信頼関係が必要なのです。

むしろ参議院は定数を100ぐらいに減らすべきだと思います。
日本は憲法で二院制をとっているのでこれを変えるのは敷居が高いでしょう。
ならば、私はせめてアメリカ並みにしろといいたいのです。
日本の参議院にあたるアメリカの上院議員の定数は100です。
アメリカは国土が広く、人口も日本の3倍以上います。
参議院の定数を100にしても国政は成り立ち何ら問題ないと思います。

まったく今回の法改正は時代の流れに逆行するものだと思います。





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