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満州国3 [歴史]

1912年、辛亥革命により清朝最後の皇帝、溥儀は退位しました。しかし、その後も中華民国臨時総統の袁世凱との取引により、紫禁城で今まで通りの生活することを保障されました。袁世凱は元々、清の軍人兼大臣であり、孫文の配下になることを忌み嫌いました。とはいえ華南・華中地方で孫文の革命軍が国民の支持を得ていたため、孫文と直接対立するわけにはいかず、溥儀を退位させることを孫文に約束しました。他方、自ら中華民国の大総統になるため、清の高官や宦官、軍閥を掌握して孫文に対抗しようとしました。

しかし袁世凱が1916年に死亡すると、華北は軍閥が乱立するようになり、世情が不安定化しました。軍閥の中には孫文の南京政府に降ろうとするものも出るようになりました。そんな中、北京に勢力を有していた軍閥が南京政府に忠誠を誓うため、紫禁城に乱入して、溥儀ら皇族を追い出し、紫禁城の財宝を盗み出しました。さらに孫文の後を継いだ蒋介石は北伐を開始し、張作霖を除く軍閥を倒し、華北を統一しました。北伐の際、蒋介石軍は清の歴代皇帝、西太后の陵墓を暴き、財宝を奪いつくしました。

溥儀はこういった漢民族の仕打ちを深く恨みました。彼は先祖の地、満州に戻って、再起を図ることを決意したのです。これに着目したのが関東軍参謀、石原莞爾です。彼は満州事変の中心人物であり、さらに満州帝国建国の草案を作った人物です。

長くなってしまったので、次回参謀石原莞爾にふれつつ、本題に入っていきたいと思います。


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