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満州国2 [歴史]

満州とよばれる中国の東北地方は元々、漢民族が支配した歴史はありませんでした。この地域は女真族(後に満州族と改名)と呼ばれる人たちが住んでいました。元々、彼らは漢民族とは違い、定住せず、東北地方のあちこちを遊牧する民族でした。1115年に金という国家を作りましたが、モンゴル帝国に滅ぼされてから、400年弱、各部族がバラバラとなり、統一国家はできませんでした

そんな中、1616年になって女真族のヌルハチ(清の初代皇帝)が出て、東北地方に後金という統一王朝を樹立させました。この王朝は強力な国家で、2代目のホンタイジの時には朝鮮をわずか50日で屈服させ、国名を後金から清に改めました。そして3代目の順治帝の時代になると明の領土を呑み込み、紫禁城に入城しました。

さらに4代目皇帝の康熙帝は外モンゴル、青海、チベットを服属させました。5代目の雍正帝の時代には台湾を服属させました。6代目の乾隆帝の時代になるとついに新疆・ウイグルを服属させました。

このように満州族は初代から6代目までの優秀な皇帝の元で強大な大清帝国を築き上げました。このように1616年~1795年まで清は隆盛を極めたのです。現在の中華人民共和国の国土は大清帝国の領土とほぼ一致します(台湾を除いて)。現在の中華人民共和国は満州族に感謝しないといけないかもしれません。本来、漢民族の固有の領土ではないチベットやウイグルを領有しているのですから。チベットやウイグルは清が滅んだ時、自治独立しようとしたのですが、その後中国共産党は人民解放軍を送って、同地を征服したのです。これが今もくすぶっている民族問題なのです。同地も漢民族に支配された歴史はなく、満州族に一時期、支配されていただけです。

しかし、隆盛を極めた清も1800年代になると西洋列強の干渉を受け、衰退します。「滅満興漢」をスローガンに漢民族の洪秀全が1851年に太平天国の乱をおこし、ついに1912年、漢民族の孫文による辛亥革命によって清は滅ぶことになります。

これにより、満州族の高官たちは華南や華北から追われ、先祖の地である東北地方に戻っていくことになります。モンゴル族の元が漢民族の明に滅ぼされた時にモンゴル平原に帰っていった時と同じです。

次回はいよいよ、満州帝国成立について、述べたいと思います。













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