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幸村、親父越え果たす [歴史]

第一次、第二次上田合戦と大阪冬の陣の戦い方はよく似ていました。すなわち、まず敵を挑発し、その上で敵を城まで引き付けておいて、鉄砲や弓、投石、熱湯、丸太を一斉に浴びせ、仕上げはあらかじめ用意しておいた伏兵で逃げてきた敵を襲うという戦法です。
この戦法は幸村の父、昌幸が得意とする戦法で、幸村は父からこの戦法を学びました。
しかし、大阪夏の陣では大阪城の堀が埋められ、真田丸も破却されていたため、この戦法は使えませんでした。
大阪夏の陣で家康本陣まで迫った幸村の戦法は自ら考案した独自の戦法だったのです。家康は命からがら、本陣を捨て天王寺から平野、久宝寺へと敗走したのです。武田信玄に三方ヶ原で敗れた時以来の敗走です。幸村の戦法がいかに凄いものであったかということを伺い知れることができます。
この時、幸村は親父越えを果たしたのです。


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