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裁かれなかった戦争犯罪人1(終戦記念日特集) [歴史]

1回目の今日はインパール作戦を立案指揮した牟田口廉也中将について触れたいと思います。
まず、牟田口は盧溝橋事件の端緒を作り出した人物です。さらにインパール作戦を立案し、多くの師団長が反対したにも関わらず、作戦を強行した人物です。インパール作戦とはインド(当時イギリス領)から中国(蒋介石国民党政府)への物資の輸送を遮断するために、当時日本が占領していたビルマからインドのインパールという町を占領しようとする作戦のことです。

この作戦は本当に無謀な作戦だったのです。まず行軍するルートが非常に険しい山脈である上、気候が湿地帯であったため、蚊などによってマラリアに感染しやすい場所だったのです。しかも日本軍は英軍とは違って補給物資が乏しかったため、インパールに近づく前に飢餓地獄に陥ってしまったのです。ですから、英軍と戦って戦死した人よりも、餓死して亡くなった人、苦しさから逃れるために自決した人の方が多かったのです。

後にこのようにして亡くなった人が行軍した道のことを「白骨街道」と呼ばれています。現在でも現地の人は遺骨を発見することがあると言っています。いかに悲惨な作戦であったかということがわかります。

現地の司令官は作戦が無謀で多くの兵士が飢餓に苦しんでいる旨伝え、作戦を即停止するよう牟田口に何度も打診したのです。ところが、牟田口は「弱気な発言は許さん」「食料ならジャングルの中で見つけろ」「弾がなくても突撃せよ」など、もうとにかく、とんでもない指揮官なのです。

にもかかわらず、彼は英軍が追撃に出てくると、白骨街道に兵士たちを置き去りにして、自分ひとり真っ先に前線から撤退したのである。

しかも敗戦後、彼は何の裁きも受けず、1966年まで生きたのです。そして兵士への謝罪の言葉は死ぬまでなかったのです。この人物は終戦直後、日本人の手で絞首刑にすべきであったと思います。


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