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上杉謙信、軍神ではあるが [歴史]


 北条氏康VS上杉謙信


 武田信玄VS上杉謙信

関東の雄である北条氏康は謙信を恐れて、自分の息子を人質に差出しました。また川中島の合戦では謙信は武田信玄の軍師山本勘助のキツツキ戦法を見破り、軍師山本勘助と信玄の弟信繁を戦死させました。これらを見ても謙信がいかに神がかっていた武将であったかをうかがい知ることができます。
 しかし私は少し謙信に不満をもっています。軍神に対して不満を言うのは大変おこがましいことなのですが、ずっと思っていたことなので言わしてください。それは織田信長に対する謙信の行動です。謙信は信長との戦いでは能登七尾城を攻め落とし、さらに手取川の戦いで勝利しました。ここまではいいのです。ただ、なぜここで戦をやめてしまったのでしょうか。正直、物足らないです。謙信は室町幕府の役職である関東管領に就いていました。ゆえに室町幕府の足利将軍に忠誠を誓っていました。1573年に信長は将軍足利義昭を追放しており、謙信から見れば信長は逆賊にあたります。
 次に信長は1571年に比叡山を焼き討ちしており、仏道に深く帰依していた謙信から見れば、仏敵にあたります。したがって、謙信は安土城まで攻め上って、信長を討たなければならなかったはずです。しかし歴史上、謙信はそれをしなかったのです。
 ちなみにライバルの武田信玄は上洛しようとしました。ただ、途中で病死してしまったため、志は実現できませんでした。



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