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コロナの影響力と非自由主義国、中国 [社会]

 コロナの感染拡大により我が国の医療崩壊が現実のものとなってきています。
一都三県では緊急事態宣言が再発動されました。関西圏も再発動される可能性が高くなっています。
このことを受けてウイルスの立憲主義国家に与える影響がいかに大きいものであるかを切実に感じました。立憲主義とは憲法によって、政府の恣意的な権力の行使を制限し、国民の権利を守ろうとするものです。わが国や欧米諸国は憲法により、様々な人権、すなわち表現の自由、経済的自由、生命の自由等が保障されています。しかし、それ故に、それらの自由を制限しないといけない事態に直面した場合、大変苦慮することになるのです。今、直面している事態は高齢者の生命の自由を守るために、その他の人々の経済的自由を制限する事態になっています。医療崩壊が起これば、お年寄りの命が多数失われることになるため、人が集まらないよう、飲食店に時短要請しているのです。
 しかし、これが中国であればどうであろうか。かの国ではこのような対処はしないであろう。春先かの国で感染拡大が起こった時のことを思い返せばわかる。官憲が麻雀店に乱入し、容赦なくハンマーで麻雀台を叩きわり、自粛に応じない人を木に縛り付けて晒しものにしました。そして武漢を人一人通れないよう、交通網を遮断し完全に都市を封鎖しました。そして、政府の対応に不満を言う者は、国家反逆罪で逮捕し、完全に言論を統制しました。かの国には「小を犠牲にして大を活かす」という思想があります。鄧小平は天安門事件で学生を戦車で鎮圧した際、言った。「動乱分子の粛清は大した問題ではない。改革開放政策により経済発展を成功させれば、わが人民はこのことを忘れるであろう」と。ただ、これは何も中華人民共和国が成立して初めて生まれた思想ではありません。秦の始皇帝、隋の煬帝、清の西太后の時代にもあった思想です。
 もし、かの国において現在わが国で起こっていることと同じことが起きても医療崩壊は起こらないでしょう。彼らは重症化したお年寄りを大きな野戦病院のような所に収容するが、治療を施さず見捨てるであろう。まさに「小を犠牲にして大を活かす」のである。このような言い方をするとかの国を全て否定しているように聞こえてしまうがそうではない。かの国の商人は昔から商売が上手く能力が高い。また、古の時代から文化、技術が発達した国である。清末から20世紀の初頭に一時期衰えた時期もあるがそれでも「眠れる獅子」と呼ばれ一目置かれていた。日本もかの国から学んだことが多いのは確かである。だからこそ漢字を使っているのである。しかしながら、同じアジア人であっても、どうしても受け入れられないことがある。まさに「小を犠牲にして大を活かす」という考え方である。これは立憲主義、自由主義とは全く相いれない考え方だからである。
 私がこの新型コロナウイルスによって、もっとも痛感するのは、皮肉にもわが国や欧米諸国のような立憲主義国はウイルスを抑えにくく、中国のような非自由主義国家で強権国家の方が、ウイルスを封じ込めやすいということである。このことは本当に恐ろしい。かの国は第2、第3のコロナが仮に起こっても、どんな手段でもとれるため、何も恐れていないであろう。しかしわが国や欧米諸国のような立憲主義国は上記理由のように塗炭の苦しみを負うことになるのである。
 春先、私に「どんな時代にもリスクはある。リスクに対しどう準備してどう対処するかが大事だ」と言った方がいます。しかし、わが国は立憲主義国家であり、中国ではない。リスク管理は大事だが、このリスクは管理できるような類のものではないのではないか。例えば、飲食店はそもそも、口をあけて食べる所でリモートで食えません。わが国は立憲主義国家であり、強権を発動して、ウイルスを封じこめることも出来ないのです。どのようにリスク管理せよ言うのですか。





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